因果の法則を証明すれば因果応報も証明したことになりますか?

因果の法則を証明すれば因果応報も証明したことになりますか?



「自分が不倫をしたら、妻に不倫をされた」「万引きをしたら、すりに財布を盗まれた」などのように、自分が為したことが、自分に返ってくることを「因果応報」というようですが、このような思想は仏教にはありません。
◆質問者さんが、「因果の法」「因果応報」をどのような思想だととらえているのかが分かりませんが、多くの日本人が想っている「因果応報」は、仏教にはない思想です。
因果というのは、サンスクリット語のヘーツ・パラ hetu-phala の中国語訳です。日本語に直訳すれば、「原因と結果」です。因果は、仏教の根幹となる教えです。因果応報という言葉は、中国で作られていますので、もとになるサンスクリット語はありません。
因果応報という言葉は、大蔵経の中では、『根本説一切有部毘奈耶薬事』の中で一度しか使われていません。数多い経典の中で、この言葉は一回しか使われていませんので、仏教教義として定着したものではありません。大蔵経以外では、三蔵法師玄奘について記した『大唐慈恩寺三蔵法師伝』で使われているようです。
因果応報とは、「善悪の原因があれば、必ずそれに相応する楽苦の結果のあること」だと辞書には書いてあります。この思想を仏教では「業報」といいます。
●業報
=ごうほう
=karma-phala
=カルマ・パラ
=行為の結果・行為の報い
業(行為)には三種があります。身業・口業・意業です。身体による行為、口による行為、心による行為です。身体による行為とは、行動のことであり、口による行為とは、言葉によって表現することであり、心による行為とは、決意・選択・意志のことです。
この中で最も根本にあるのが意業です。決めることによって言動を起こすからです。もし、心の行為がなく、無意識の内に言動したとしても、それを業とはいいません。
決意(因)→言動(果)
善因善果
悪因悪果
善に基づく決意ならば、善の言動となり、悪に基づく決意ならば、悪の言動となります。この決意と言動を原因として、苦楽の境地に到ります。
善因善果・善因楽果
悪因悪果・悪因苦果
以上の思想を業報といいます。
ここに出てくる善悪・楽苦というのは仏教用語ですから、日常用語の意味ではありません。仏教における善悪とは、真理に基づいています。真理に従っていれば善であり、真理に背いていれば悪です。初心の仏教者の場合は、真理が何なのかが分かりませんので、戒律が定められています。戒律を守ることによって、悪をなさず、善をなせるように導いています。
楽とは、自由自在のことです。真理に従えば、すべてを受け入れることが可能であり、自律し、自由自在になることができます。苦とは不自由のことです。真理に背けば、あらゆることを自分の判断基準で振り分け、その結果に執着し、その執着は、まるで家畜を結ぶロープ(絆)のように、その人の自由を奪います。よって、善悪も楽苦も仏教用語なのですから、仏教を知らない人が判断できることではありません。世間での意味とは違います。
仏教で説くところの真理とは、「空」「縁起」です。この言葉の意味は非常に難解ですので、ここでは「すべての事物・現象には実体が無い」という意味とします。物事には実体は有りませんから、執着の対象は存在しません。よって、善とは、物事に執着しないことであり、悪とは、物事に執着することです。
世俗で使われる「因果応報」と仏教の「業報」とは、基本的な思想が違います。世俗で因果応報とは、「自分が悪事を行えば、それと相当する悪いことが自分に返ってくる」というような思想だと誤解されています。ブログなどでは、それは仏教の思想である、と断言しているものもあります。しかし、「自分がしたこと」と「自分が受けること」とに明確な因果関係はありません。
「報」とは、ヴィパーカ vipāka の訳です。多くの場合は、「果報」「異熟」と漢訳されます。善因が楽果となり、悪因が苦果になるように、善悪の結果が楽苦というように変化して結果となるので「異熟」です。善悪と楽苦とは、性質が異なります。
世俗では、自分の主観で、「これは善」「これは悪」「これは楽」「これは苦」だと観ます。仏教では、そのような決めつけをしません。「これは善である」と決めつけた瞬間に「悪業」を為していると観ます。一切の善悪を見ないことを仮に善だと説くのです。同様に一切の執着から離れることを仮に楽といいます。
つまり、世間でいうところの「因果応報」とは、仏教思想とは異なります。
◆結果には必ず原因がある。原因の改善こそが飛躍的な結果の改善につながると解釈するのが「因果の 法則」ですね。逆に「因果応報」とは『人は良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある』という仏教の教えです。要するに 仏教の観点と現実論です。「因果応報」結果が出てから後悔するか、「因果の法則」原因を前もって改善するかと言う事ですね。文字からすれば同じ様に思えますが、違った方向から見ている感は有ります。
◆ですね