拉致問題はどうやって発覚したんですか?

拉致問題はどうやって発覚したんですか?



●2018.1.7 11:39更新
「私の拉致取材 40年目の検証」7日から新連載
産経新聞は、北朝鮮による日本人拉致事件をテーマにした新連載「私の拉致取材 40年目の検証」を1月7日(日)から開始します。
福井、新潟、鹿児島のアベック3組や横田めぐみさんらの失跡を北朝鮮による拉致事件としてあぶり出した元産経新聞社会部記者、阿部雅美氏が執筆します。
取材開始から40年目の節目となる年に長期連載となるノンフィクションです。
「アベック連続蒸発」
の記事が初めて産経新聞(当時の題字は「サンケイ新聞」)1面に掲載されたのは、今から38年前の1980(昭和55)年1月7日でした。
のちに新聞協会賞を受賞するきっかけとなった画期的なスクープでしたが、当時、他のマスメディアは完全に黙殺し、その後長きにわたり日本国内で拉致事件への関心が広がることはありませんでした。
「どのように事件を取材し、どう報じたのか、あるいは報じなかったのか。
日本社会や政治はその後、拉致問題にどのように向き合ってきたのか」-。
記事掲載前年の79年から社会部記者として取材を始めた阿部氏は、今も手元に残る多くの資料などを見直したことで、当時は見逃されていた真実が見えてきました。
解決の兆しは一向に見えず、事件が風化しつつある今、新連載では阿部氏が問題点を検証していきます。
「私の拉致取材 40年目の検証」
は1月6日(土)で終了の連載
「百年の蹉跌 ロシア革命とプーチン」
のあと、毎週月~土曜(休刊日等を除く)の朝刊オピニオン面で連載されます。
初回の7日はオピニオン面連載の前文として1面に「序」を掲載します。
◆阿部雅美(あべ・まさみ)氏のプロフィル
1948(昭和23)年生まれ。
東京都出身。
72年、産経新聞社入社。
97(平成9)年、
《北朝鮮による日本人拉致事件疑惑 17年を隔てた2件のスクープ 「アベック連続蒸発」-「横田めぐみさん」》
で日本新聞協会賞受賞。
●40年目の検証 私の拉致取材①
2018年1月7日 第1章
◆日本社会はずっと蒸発に気づかずにいた
■夜回り
スマートフォンどころか携帯電話さえ手元になかった昔のことなので、どんな時代だったか、少し説明したい。
1979年(昭和54年)、ダサい、ナウい、キャリア・ウーマンといった言葉が流行り、ウォークマン、ぶら下がり健康器がヒット商品だった。
大人たちまでが夢中になったインベーダーゲームの流行が続いていた。
レコード大賞はジュディ・オングの『魅せられて』。
映画『銀河鉄道999』が観客を集め、『ドラえもん』のテレビ放送が始まった。
プロ野球の広島東洋カープが初めて日本一になり、大学入試の共通一次試験がスタートしたのも、この年だった。
秋の衆院選挙で自民党は過半数に届かず、党史上最大の危機と言われた激しい派閥抗争が起きた。
■繰り返された衝突
朝鮮半島に目を転じる。
朝鮮戦争の休戦後も南北の一触即発の緊張が続き、1960年代後半から1970年代にかけ、互いに首領の暗殺を狙った。
まず1968年1月、銃と手榴弾で武装した北朝鮮の特殊部隊員31人が休戦ラインを突破してソウルに潜入し、大統領官邸青瓦台に迫った。
察知した韓国軍との銃撃戦で29人が射殺された。
報復として韓国は金日成主席暗殺計画を立て、こちらも同人数31人の特殊部隊を創設。
朝鮮半島中西部の無人島、実尾島(シルミド)で極秘の訓練を続けた。
ところが、急速に南北融和が進むと暗殺計画は撤回され、特殊部隊そのものが存在しなかったこととされた。
劣悪な待遇もあり、部隊員たちの不満が爆発。
1971年8月、反乱を起こして島を脱出し、バスを乗っ取って青瓦台へ直訴に向かった。
軍、警察との銃撃戦で20人が死亡した。
映画『シルミド』で、よく知られた話だ。
1974年8月にソウルで起きた在日韓国人・文世光による朴正煕大統領暗殺未遂事件も、北朝鮮の関与が明らかになっている。
その後、南への武装浸透を図る北朝鮮の兵士と韓国軍との間で小規模な衝突が繰り返され、軍事境界線を越える南侵トンネルが見つかったりしたが、概ね小康状態が続いた。
■ダブルスタンダード
日本のマスメディアの朝鮮半島報道は、漢江の奇跡と言われた韓国の高度成長を成し遂げた朴政権の功績面に触れることは少なく、自由主義、民主主義という価値基準に照らして、軍事独裁、圧政と批判し、その打倒を掲げた民主化運動へのシンパシーに満ちていた。
一方で、言論の自由も結社の自由もない北朝鮮に同じ価値基準を適用して、その独裁体制を問題にすることはなかった。
完全なダブルスタンダードだった。
1975年にベトナム戦争でサイゴンが陥落して米国が負けると、この傾向に拍車がかかった。
日朝間では1959年に始まった在日朝鮮人や日本人妻らの北朝鮮への帰還事業が継続していた。
初期は、日本のほぼ全メディアが、この事業を後押しした。
産経も例外ではなかった。
日本社会は、そうした報道を反映して
「地上の楽園」
(注・朝鮮総連=在日本朝鮮人総連合会、北朝鮮を支持する在日朝鮮人で構成する団体=が最初に使ったとされる)
と讃えられた北朝鮮に甘い、偏った空気に、ずっと覆われてきていた。
ただし、偏った、というのは、今だから言えることで、当時は、ごく自然に、疑うことなく、その空気を吸っていた。
今日と違い、北朝鮮の人々の惨状に関する情報は極端に少なく、多くの日本人と同じように私も、北朝鮮に特段の悪い印象を持っていたわけではなかった。
現在、政府が認定している12件17人の北朝鮮による日本人拉致は1977年から密かに始まり、続発していたのだが、日本社会の誰も気付かずにいた。
■政府が認定した日本人拉致被害者(国内)
「年齢は2018年1月7日現在、元号は昭和、☆印印は帰国した被害者、★は未帰国被害者」
★①52年9月19日、石川県で拉致、久米裕さん(92歳・当時52歳)
★②52年10月21日、鳥取県で拉致、松本京子さん、(69歳・当時29歳)
★③52年11月15日、新潟市で拉致、横田めぐみん、(53歳・当時13歳)
★④53年6月頃、拉致場所不明、田口八重子さん、(62歳・当時22歳)
☆⑤53年7月7日、福井県で拉致、地村保志さん、(62歳)
☆⑥53年7月7日、福井県で拉致、地村富貴恵さん、(62歳)
☆⑦53年7月31日、新潟県で拉致、蓮池薫さん、(60歳)
☆⑧53年7月31日、新潟県で拉致、蓮池佑木子さん、(61歳)
☆⑨53年8月12日、新潟県で拉致、曽我ひとみさん、(58歳)
★⑩53年8月12日、新潟県で拉致、曽我ミヨシさん、(86歳・当時46歳)
★⑪53年8月12日、鹿児島県で拉致、市川修一さん、(63歳・当時23歳)
★⑫53年8月12日、鹿児島県で拉致、増元るみ子さん、(64歳・当時24歳)
★⑬55年6月中旬、宮崎県で拉致、原敕晁さん、(81歳・当時43歳)
■海外で拉致された政府認定の被害者
★①53年6月頃、欧州に出国後拉致、田中実さん(68歳・当時28歳)
★②55年5月頃、欧州で拉致、松木薫さん、(64歳・当時26歳)
★③55年5月頃、欧州で拉致、石岡亨さん、(60歳・当時22歳)
★④58年7月頃、欧州で拉致、有本恵子さん、(57歳・当時23歳)

上記URLを参考に。
本当の最初はどれなんでしょうかね。
私が聞いた最初は、朝日放送の記者達の活動からでしたが、それが本当かどうかは知りません。
◆人がいなくなったから
◆密告
◆気合い
◆告発